概要
古くから人類は神や仏を信じてきた。もちろん、現在もそうかもしれないが、多くの人は”本当に信じている”のではない。
人類は少しずつ”本当に信じる”ものを「神」から「科学」へと変更し、科学的に証明されたものを参考に生活するようになっている。
しかし、科学は万能ではなく、一度証明された事実が適宜更新されていく。科学者は社会のため、自身のために猛烈な思いと莫大な時間を使って日々研究に励んでいる。我々はその恩恵を受け、豊かな生活を送ることができているのだ。
科学の限界について
科学とは今時点で分かっている原理や法則のことをいう。
ニュートンの万有引力もアインシュタインの一般相対性理論により修正を余儀なくされたように、科学に完全は無く、今後も更新されていく定めにある。
更に科学は確率や統計的に全ての条件での検証は不可能であるため、ある条件下で検証された結果が公開されることとなる。
そのため、検証結果をそのまま現実に適応できない場面も多くある。
そして残念なことに発表されている全ての論文が正しいとは限らない。
2013年の『ネイチャー誌』は医学生物論文の70%以上で結果を再現できなかったという衝撃的なレポートを出している。
もちろん全てがそうではなく、論文には「適応度の高い仮説」があり、長い時間の中で批判に耐え、後世に残っていくものもある。我々はその確度を意識しながら科学を学んでいくべきだ。
他に科学に影響を与えるのが社会である。研究には費用がかかる。科学者は好きなことを研究するのではなく社会が求めるものや、称賛されやすいものを選択してしまう傾向にある。
<まとめ>
・科学は完全ではなく、更新されていく
・全てを検証するのは不可能であるため、ある条件下で検証おこなう
・科学は社会に影響を与えるが、逆に影響を与えられている
科学の出発点は思いである
科学の出発点は科学ではなく、思いである。
空を飛びたいとか、何かを実現したい、確かめたいという、思い(非科学的なもの)から科学は生まれる。
ドイツの滑空王と呼ばれたリリエンタール兄弟は空を飛ぶことに憧れ実験を繰り返した。
当時は空気より重いものが安定して飛行し続けることは原理的に不可能と呼ばれていたが、最大で250メートルの飛行に成功し、後にライト兄弟がその意志を引き継ぎライトフライヤー1号の初飛行へと繋がった。
研究には多くの時間や無駄が必要だが、その”無駄”があるからこそ我々がその恩恵を受け、豊かな生活を送ることができているのだ。
社会は効率を求める(もちろんそれも大事だが)。
しかし、余裕や無駄があるからこそインスピレーションが生まれ、試行錯誤の結果、新しい原理法則が発見される。
<まとめ>
・科学は思いから生まれる
・新しい発見をするためには多くの時間や無駄が必要
参考文献
『科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)』中屋敷均 著